新創作ノート10 2006.12.10
近頃、暇さえあればバッハの平均律ピアノ曲集の勉強に余念がない。来年、いよいよ平均律を録音し、コンサートも行なおうと思っているからだが、しかし西洋音楽史上、これほど面白い曲集が存在するだろうか。とにかく、どの演奏を聴いても、24曲があっという間に過ぎるのは正に音楽の力としか言いようがない。
それにしても昨今は、古楽的アプローチだの、モダン奏法だのという議論、すなわちそのどっちかが正しいというような偏狭な議論もそろそろむなしく、意味 を持たない時代に突入したのではないだろうかと思うのだが、しかしまだまだ世の中はそう割り切れてもいないらしい。この前も、私のマネージャーがゴルトベルクを含むリサイタルの録音を某放送局に頼んだら、「ゴルトベルクはチェンバロじゃなきゃ」とか言われ、やんわりと断られたらしい。最もそれはお断りの口実だったかもしれないから、額面通りには受け取れないかもしれないが、確かにあらゆるピアノのコンクールで聴く若いピアニストたちの平均律の演奏は、何とも代わり映えのしない一定の決まりきったテンポとフレージングしか聴くことが出来ないが、これはなぜだろう。30~40年前はまだ一定数活躍していたさまざまな解釈本が今や一掃され、原典版のみの時代になるや否や、フーガの主唱が誰を聴いても同じアーティキュレーションだというのは、全く解せない。
新創作ノート9 2006.11.14
リサイタルで、久しぶりに「ゴルトベルク変奏曲」を取り上げた(ぶらあぼ音楽配信サイト ブラビッシモ! http://www.mde.co.jp/bravissimo.htmlで期間限定で聴けます)。演奏するのは、ほぼ一年ぶり。「ゴルトベルク」の演奏は、一つの旅だ。それも全く行き先のわからない、旅程もきちんと決まっていないような旅と似ている。前に何回か弾いた時にも、こう言って良ければ行く先は毎回違い、その途中の風景も、それを楽しむ気分も毎回異なった。
最初のアリアを弾きはじめた時には、まだどこに行き着くかわからないし、どのような解釈でこの先進んで行くかも、まだ漠然としか見えていない。しかし変奏曲が進んで行く過程で、偶然により意思により次第に方向性がはっきりして行き、最後のアリアへと到達する。今回の演奏を準備するにあたっては、何も特別なことはしないで、出来るだけシンプルなかたちで、劇的な表現はなるべく排除していきたい、と考えていた。
新創作ノート8 2006.4.1
2006年3月12日に、パリのCite de la Musiqueで、チェロのための新作の初演があり、それを聴きがてら久しぶりにパリに出かけた。パリは行くたびに観光地化しているように思える。それは、こちらの側がパリを外側からしか享受しなくなった表れなのだろうか。ついにメトロの1番線は、旧式の車両を一新し、客がいちいち扉を開け閉めする必要のない車両を導入。バスの停留所やメトロのホームに行けば、次のバスやメトロは、あと5分で来ますとの電光表示。バスに乗ったら乗ったで、エトワール広場まではあと15分! つい15年前には、日本のJRのホームの「次の電車は○○駅に到着」という表示に、うるさい、日本人は馬鹿か、とあんなにいらだっていたフランス人なのに。
Cite de la Musiqueの大ホールの満員の聴衆を前にして、チェリストのJean Guihen-Queyrasは、この日一日で三回のコンサートに分けて、バッハの無伴奏チェロ組曲全6曲を演奏。さらに各組曲の前にプレ・エコーと題して、6曲(実際は5曲)の新作の初演を行なった。作曲したのは、イヴァン・フェデレ、ジルベール・アミ、ジョルジュ・クルターク、望月京、ジョナサン・ハーヴェイ、そしてわたしの6人で、この中では唯一クルタークの新作が完成せず、ケラスは過去のクルタークの作品から選んで演奏した。ここでは、ニ長調の組曲第6番の前に演奏された、拙作のEnigme(謎)について、若干述べておく。
新創作ノート7 2005.10.11
8月16日
今日からいよいよ,キール歌劇場に移動。Die Weltの新聞批評(別項参照)に「五日間のせきたてられたリハーサル」とあったが、本当に五日間でやったことが信じられないほどの、ぎりぎりの時間。Kent は、普通の歌劇場だったら、このスコアの難しさだと、二週間必要だよ、と釘を刺されてしまう。いよいよペーター・シュミットさんの素晴らしい色調のセット・デザインがベールを脱ぎ、さらにはテレビ関係や報道関係の人がうろうろしている。やっと音楽祭のインテンダント、Rolf Beck 氏と会うことが出来た。よくぞこの企画を最後までキープしてくれたことに感謝。午前中のオケのリハーサルは、何と一時間以上のロス。昨日オケピットの中の楽器の並びを、ケントが詳細に指示したのに、全く違う配置になっていたからだ。何と並びを変えるのに時間がかかることか。オペラ劇場には慣れているはずのケントをはじめ、全員いらいら。
1時に最初の練習が終わると、すぐに歌劇場の二階スペースで記者会見。司会はオーケストラアカデミー事務局長Stefan Engelert 。Rolf Beck さんがまず企画の経緯をドイツ語で、Kent もいままでのあらましをがんばってドイツ語でスピーチしている。わたしは「台本に忠実に作曲した。このような素晴らしいチームで最初のオペラを経験できたことに感謝」のようなことをフランス語で。そうしたら隣りのKent が英語に訳してくれた。次にBarry が今度は英語でスピーチ。武満さんが、Action musicalを、といった話しや、いろいろな経緯をしゃべっている。ふと周りにいる人達を見ると武満浅香さんと真樹さんが、東京からいらっしゃっていて、熱心に聴いて下さっている。このオペラは、Japanese opera なのか,とかどうでもいいような記者との質疑応答で終わったこの会見の後、お二人と劇場のカンティーヌで食事をしながらお話しすることが出来た。わたしは、今の今までこのオペラ計画に関してお二人とお話ししたことがなかったので、彼女達がどう思っているか全く知らなかった。ひょっとしたら私がこの台本に作曲していることで、お気を悪くされてるかもしれないとも思っていた。そのことを率直に言うと、「そんなことはなく、私たちも喜んでいるし、Barryも野平さんでとても喜んでいる。かえって野平さんのオペラなのに、武満、武満と出てしまって申しわけない」と言われてしまった。やはり,武満さんは少々スケッチを残していたようだ。それに第4場のディスコのロックソングは、いっそうその道の専門家に作曲してもらおうと考えていたらしい。すごく興味深い!! 「親父はその作曲者に何とポール・マッカートニーを考えていた」とは真樹さん。え、っと絶句していると「でもそんなのは古い、ってあたし達みんなで反対した」らしい。残念ながら、この興味深い会話はバイエルン放送局のインタビューのために中断。それが終わるとすぐに午後の練習に突入。
新創作ノート6 2005.10.2
8月11日
フランクフルト経由、ハンブルク着。シュレスビッヒ・ホルシュタイン音楽祭のお迎えの車は、さすがにアウディ。音楽祭のメインスポンサーだそうだ。久しぶりにドイツのアウトバーンを時速200キロで疾走し、爽快感(恐怖感)を味わう。
8月12日
リューベックのホテルで、オーケストラ・アカデミー事務局長であるシュテファン・エンゲレールと再会。歌手達は全員難しさに苦戦しているとのこと。不安を抱えながら、歌手のリハーサルが行われているホッホシューレへ。エッダ・モーザーの特別クラスなので、オペラの学習だけではなく他のプログラムもあるから、と言われていた。
さて恐る恐るクラスに足を踏み入れてみると、ケントのアシスタント、デヴィッド・コールマンにすぐにピアノに連れて行かれて、そのままオペラの練習となった。二日前から伴奏してくれていた女性ピアニストが、作曲家が来たのなら、とおりてしまった。まあヴォーカルスコアとは名ばかりで、常に三段、ないし四段で書かれた大変難しい代物だからいたしかたあるまい。私のたどたどしい英語で何とかつなぎながら、コールマンの指揮で最初から最後まで通した。はじめてすべての歌手と会ったわけだが、いろいろ問題はあったものの、とても良く勉強していた。そもそも歌手という人種は,洋の東西を問わず陽気であり、拒否反応は全くなく、それどころか口々に私の音楽をほめてくれるので、成功を確信した。素直な感想を言うと、両性具有者役のJestinはイギリス人だけあって、とても英語の表現に長けていて、性格俳優的なキャラクターを見事に表現していた。しかし声は想像していたより「きれい」すぎた。私は語る部分を地声(男の声)でやってみてはどうかと勧めた。それは本当に奇妙で、まるで一人が女になったり男になったりしているようで、この役に尋常ならざるものを求めていた私には、とても気に入った。しかし彼は地声よりもファルセットの方が奇妙だと考えていた。結局みんなの意見を入れて、全部をファルセットでやってもらうことにした。